珈琲釜飯について

先日の京都行脚の帰り道、某サービスエリアにて昼食をとったときのこと。子連れだったため我々はゆったりと食事のできるレストランへ入った。着席してメニューを見ると1ページ目にイチ押しな感じでドドーンと何やら不穏なメニューがあった。「珈琲釜飯」。いやいや、それはおかしいだろう。さらに並んで「珈琲炒飯」。何かがおかしい。だいぶおかしい。私も30数年生きてきてそれなりにいろいろなものを食べてきた。にもかかわらず全く味を予測できない。
というわけで、失敗したとしてもブログのネタくらいにはなるだろうと「珈琲釜飯」を注文。お腹は空いているが期待と不安で既に胸いっぱい。そしていよいよ現物が登場。いざ釜のフタをとってみると…

うーん、確かに釜飯。しかしこの琥珀色は醤油によるものではなく珈琲によるものだということを私は知っている。熱気に運ばれてくる香りは…何かおかしい!確かに珈琲の香りがする。このあたりで「珈琲は食べ物じゃない」という単純な事実にようやく気付き始めた。しかしまだ実感はない。さて、意を決して食べてみる。…こりゃやっちゃったな〜。珈琲豆を炒ったような、何かが燃えたというか焦げたというか、そんな味。いや、味なんだろうか。もっと原始的で、かつ破壊的な感覚。これは食べてもしょうがないな、という感じ。食べ物なのかどうか、微妙な感じ。食べられるけど、食べられない。これがアンチノミーか。完璧にアウト。
しかし食べ物を残すのは私の主義に反するので、とりあえず食べて、セットでついてきたニュウメンでお口直し。ここまできて混乱の極みにあった私の心もようやく平穏を取り戻した。これがピースオブマインドってやつか。落ち着いて周りを見渡してみると、この店イチ押しであるはずの「珈琲釜飯」を食べている客は私以外に一人もいない。おいおい、メニューの1ページ目ですよ。野球で言ったら1番打者、イチローのポジションですよ。1ページ目のメニューなのに同時に裏メニューと化してしまっている、カントも想定外のアンチノミー
我々はこの事態について考えてみた。このメニューはまるで使い勝手が考えられていない道路だとか、目的のよく分からないハコモノといった風情ではないか。明らかに無理が通って道理が引っ込んだパターン、政治の産物である。「このレストランはコーヒー会社が経営してるんじゃないか」。有力な仮説が出てきたが、検証のしようがない。せめてお客様アンケート用紙にて、この惨状を経営者に伝えなければ。そう思いながらアンケート用紙を見てみると

旅にハプニングはつきもの。というかハプニングこそが旅にアクセントを与えてくれる。ハプニングを乗り越えることで、絆が深まる。旅にとって目的地に到着することは、実はそれほど重要ではない。そこに至る道のりこそが重要なのである。「珈琲釜飯」はまさに一つのマイルストーンであった。もちろん躓きの石だが。