いまだから生存権

今日の朝日新聞憲法25条の生存権の記事が載っていた。
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」というやつ。
で、だから国は社会保障制度を充実させないといけない。


なんでいまさら?とは思ったが、「格差」の議論には当然出てこないといけない。
日本が格差社会に向かいつつあるというのは事実だろう。
格差が拡がるのは悪くない。
格差が拡がる背景に実力主義成果主義の浸透があるだろうが
それらが「弊害をもたらす」として一部で拒絶されているのは
単純に過渡期だからであって、そのうち慣れていくように思われる。
実力主義の倫理が定着する可能性は十分にある。


格差が拡がること自体が問題なのではなく、格差が拡がったときに
下層の人たちをすくいあげる(救い上げる?)仕組みが不十分なことが
問題だ。生活保護の基準を下げることを政府は検討しているようだが、
自らセーフティネットの網目を粗くしているようなものだ。


上層の者は自分の面倒は自分で見れるからほっとけばよい。
格差の拡大を認めるのであれば、下層の者たちが「それでもなんとかやっていける」
ための仕組みは用意しておかなければいけない。
少なくとも、それが出来るだけの体力が日本にあるうちは。