ブルータルかつメロディアス

かつてメタルにおいてブルータルであることとメロディアスであることは相反するものだと考えられていた。初めてパンテラを聴いたとき、その凶悪極まりない荒々しさに度肝を抜かれ(ドン引きしたとも言う)、初めてヨーロッパを聴いたとき、その流麗なメロディに北欧に関する間違ったイメージを抱いたものだ。とにかくブルータルであるためにはメロディを捨てなければならず、もはや音楽であることを自己否定してしまいそうなバンドもあった。メロディを追求するならハイトーンヴォーカルが不可欠で、デス声などあり得ない。
しかしブルータルでありながらメロディアスであることが可能だということを示したのがChildren of Bodomだった。このバンドのキモはキーボードで、うまい使い方をよく知っている。ヴォーカルはデス声なので、デス声がダメな人はハナからダメだろう。私はただ重いだけのメタルはあまり好きでない。このバンドの重さとメロディのバランスは非常に心地よい。


ちなみにメタルが心地よいというと違和感を覚えられる方がいるようだが、メタルは究極の癒し音楽である。マーティ・フリードマンもそう言っていた。マーティ嘘つかない。