ザ・コーヴ

話題の映画「ザ・コーヴ」を見てきた。すでにいろんな情報が入ってきているので予断なしに見ることはできなかった。告発のためのドキュメント映画だが、方法が明らかに誤っているので、見終わって揺り動かされることはなかった。
思ったより多くの論点を含んでいることにびっくりしたが、基本的には太地町のイルカ漁を告発することが目的。ただし漁それ自体が悪なのか、その方法の残酷さを問題にしたいのかは判然としない。また途中からイルカには多くの水銀が含まれており、食べると有害だから、イルカ食は悪であり、だから漁もすべきではないという論点が出てくる。これは明らかに別の論点であり、これをイルカ漁告発の材料の一つとして提示しているようにも見える。わざとなのかもしれないが、無意識なら論理的に雑である。
製作者側の論理としては、イルカは高度な知性を備えており、人間に近い存在である。それに一緒に泳ぐなどして触れ合えば、イルカと分かりあうことができる。だからイルカは保護すべきであり、殺戮は許されず、捕獲されても解放されなければならない、というものだった。ならば太地町の町民にまず共感すべきである。人間に共感できずイルカに共感してしまう人間に、私は共感できない。
要は彼らはイルカが大好きで、太地町民の所業が許せない。だから日本まで来て、不法侵入に盗撮といった所業を繰り返しているわけだ。私はネコ好きだから、どこかの誰かがネコを虐待するのは許せない。だけどそいつのところまでわざわざ訪ねて行って、不法侵入したりはしない。その理由は、労力とお金がかかりすぎることが大きいが、不法侵入や盗撮という方法が明らかに間違っているからだ。目的は手段を正当化しない。イルカ愛はそもそも正しいかどうかもあやしい(同様にネコ愛もあやしいのだが、私はネコ好きとしてはそのへんを踏まえているつもりだ)。つまり、この映画を見て心を揺り動かされないのは、製作者が完全に間違っていることがわかるからであり、見れば見るほど「なぜこのようなやり方を選んだのか」という疑問が大きくなるからだ。
過激なやり方が成功することはほとんどない。撮影方法があまりに間違っているので、食に関する文化的摩擦をどう乗り越えるかといった問題も遠のいてしまっている。ドキュメント映画としてはあまり評価されないのではないか。一連の騒ぎを踏まえ、この映画を見たことを友人知人に話のネタにできることまで含めれば、見た甲斐はあったかもしれない。