私の車離れ

若者の車離れと言われ、そもそも若者は初めから車に乗ってないなどというやり取りが聞かれて久しい。クルマのイメージが持っていた輝きがますます鈍くなってきているのは間違いない。
私も30歳手前くらいまでは車が好きだった。人と一緒にどこかに出かける楽しみも大きい。行った先での楽しみと、そこに連れて行ってくれる車のイメージは切り離せない。一方で、私はなんてことない大衆FFコンパクトカーに乗っていた(いまも乗っている)が、それでも乗ること自体がもたらす楽しみもある。クルマを操ることから感じる楽しみとか、移動そのものの楽しみ。毎日長い距離を乗っていた頃は、アクセルの加減で車の向きが変わるといった瞬間の楽しさを感じていた。いまは車に乗る機会が大幅に減ってしまったので、運転も下手になったし、楽しいから乗るという感覚はほとんどない。でも私は今でもマニュアルギアボックスに乗っている。
クルマが輝きを失ってきたのはミニバンばかり売るようになってからじゃないか。あれは本当に便利だ。道具としてはよくできている。でも道具だからは夢はない。道具でしかないものは尊ばれない。尊ばれるためには、それ自体に価値がないといけない。乗ること自体に。
そうした楽しみを担当するのはスポーツカーになるわけだが、その存在感が弱くなってきたことと車離れは見事にシンクロしている。だからこそ自動車メーカーは売れなくてもスポーツカーをラインナップに加え続けなければならない。クルマは乗るだけで楽しいものでなければならない。でも道具としての自動車が増えてしまった。安くて、若い人が買えるスポーティな車(決してリアルスポーツカーである必要はない)がなくなって、若い人は車の楽しみ方を学ぶ機会がなくなってしまった。年配の人も、スカイラインフェアレディZを買える人ならいいが、そんな人は多くない。「車は単なる道具」というイメージが定着していくと、自動車を取り巻く文化は随分貧しいものになるだろう。そして既になりつつあるように思う。

DCといえばスケーター系のアパレルブランドで、ストリートカルチャーの代表格。それがこのような自動車文化と関係を持つのは違和感があった。たしか西海岸でスポーツコンパクトなるブームがあって、日本のスポーツカー(スープラでさえ向こうではコンパクトスポーツカー)を派手に改造して走るのが流行って、それが映画「ワイルドスピード(The Fast and The Furious)」シリーズになった。アメリカでは自動車がストリートカルチャーと結びつく豊かさと文化的要因があるのかもしれない。ただのヤンキー文化かもしれない。
日本では「走り屋」は自動車おたくのような感じで、暴走族とも違うし、アスリートとも違う。日本のアパレルブランドがモータースポーツに関係している例があるのだろうか。昔から若者に自動車の楽しみ方を指南するのはマンガであった。レース系のものはともかく、公道が舞台のものはどうしても違法行為を含んでしまうわけで、走り屋=暴走族=不法集団というイメージが出来上がった。公道で制限速度を超えて車を走らせるのは実際違法行為なのだから、車の楽しみ方としては間違っている。スポーツの方向へ持っていく必要があったが、そうした作品は近年見当たらないように思う。こうしてやはり若者は車の楽しみ方を学ぶ機会を奪われていったのであり、自動車メーカーはそうした教育の場を提供してこなかったことを反省しなくてはならない。
私のマーチは走行距離が約15万キロで今年は車検がある。…通しとこうかな。